道を作り、その道を譲る事。

何も無いところに道を作るという作業は、
とてつもない労力と精神力が必要になる。
日本のブレイクダンス創世記、
キッズスクールすら無かったその頃から、
自身に磨きをかけ、自らの力で切り開き、
数々のリザルトを残し、世界ナンバーワンの称号を手にする。
そして、世界トップのまま、
二十六歳という若さで一線を退くという。
理由は、作ってきた道をこれからの世代に譲る為。
さらに良い環境を作るためだとTAISUKEは話す。

 

ブレイクダンスを始はじめたきっかけ。

 ダンスを始めたのは一九九七年、小学一年生の時でした。姉がダンスをやり始めたのでよくあるパターンで自分もはじめた感じです。当時はアクターズスクールが流行っていた時期で、ダンスは女の子がやるものみたいなイメージがありました。そのダンスサークルには百人くらい女の子がいましたが男の子は自分を入れて二人だけ(もうひとりは従兄弟の男の子)。そこで教えてくれた先生が後に「Cool Crew Jrとパパ」というチームを組んだんです。その先生がブレイクダンス、B-BOYというスタイルのテクニックを見せてくれて、「これをやりたいな!」って思ってからですね。それがブレイクダンスにのめり込んでいくキッカケになりました。それまではサッカー選手でJリーガーになるのが夢だったんですけどその夢は一瞬で消えましたね(笑)。

 

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